昭和五十六年一月十四日 朝の御理解


御理解第六十四節
「此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。」


 何んの道でも同じですけれども、やはり師匠が居り、先生が居って間違いなく教え、間違いなく教導してまいりますと、やはりそれだけ筋の良い先生なら筋の良い稽古がでける訳です。我流ではやっぱり本当な事になりません。又でけたに致しましても、まあ大変な茨の道を通らなきゃならんと思うですけれど、合楽の皆さんの場合、これ程しに適確に間違いなく信心を進めていけれる、又はおかげを受ける為にも徳を受ける為にも、かくこういう手立てがあるんだと教えられておるのでございますから、問題は本気で習うという気があれば、合楽では素晴らしい信心が進めていけ、素晴らしいお徳に触れていき、同時におかげも受けていく事がでけるというふうに思うです。
 昨日は十三日、初の十三日会でしたから、二百名近くの方達が参拝のおかげを頂いて、そして一分間づつ皆一分間の人もあれば三十秒の人もある訳ですが、皆一人一人発表されまして、それを聞いておってから、ほとほと感心致しました。
 それこそ合楽の信心の芯所と申しましょうか、合楽理念の一番大切な所を、もうそれぞれが一人一人、確かに、こう頂きとめておられるのに驚きました。表現もやっぱ、そういう皆さんも、そう感じられただろうと思いますけれども、今年はいよいよ合楽理念に基づいて、その実験実証をしたい。それも自分が頂いておる御理解付きの、あの福引に基づいて、しかもあまりにも適確なので驚いておりますというようなお話ばっかりでした。
 私も、いつものまあ聞きながら一人一人驚きなんですけれども、合楽に何回か、二、三回参ってみえられた方なんです、伊万里から。伊万里市の婦人会の会長しとるという方が発表しておられましたがね、こちらへ参りまして誰々先生のお話を暫らく聞きました。ならもう兎に角合楽理念に基づいて、もう土の信心に極まったというように土の信心に、ひとつ本気で打ち込んで御覧なさい。おかげ頂きますよといったような話を聞いて、それから福引の事を聞いてから、聞きましたらもう無いと言われる。ところが一枚だけ残っているからと言うて、それをあの頂きましたら、その一枚残っておるそれに、いうなら土の信心に極まったという意味の事が書いてあった。もう驚いてしまったという発表しとられました。
 これは一人一人がそうですからね、だからそこに実感として、こんなにも間違いの無い神様が私に対する願い、私にかけられる思いというものを、その中から、いうならいうなら感じ取らせてもらう。又は、今年のひとつ夢といったようなものがね、実感的に、こう感じる事が出来る。
 例えば、佐田秀記先生が発表しとりましたが、あの人のくじは何んとかの歌のような「親になるこそ尊けれ」というのでした。それでひよっとすると今年は親になるかもしれん。あれが独身の者が親になるはずはなかですからね。今度嫁御さん頂いたから、そういうなら夢がでける。おかげを頂いて、お父さんになれるかも分からないといったような事をね、まあ発表しとりました。
 皆が、そういう夢のある、しかも本気で行じろうと、皆昨日発表した人達はですね、まあ出来るでけんは別として、発表したとおりの事を思うただろう感じておるだろうと思いました。
 なら昨日の、そういうような雰囲気の中におってです、例えば今日のような御理解を頂いて、自分もそれこそ皆が参って尋ねる所がなかった。いや例えば、参って尋ねる所があっても、それこそお医者さんの投薬じゃないですけれども、探りを入れるようなお話でもものではなくて、適確にあなたはこうこれに取り組んでおかげを頂けば、おかげが受けられるというお話ですよね。合楽の場合は一人一人。
 ですから本気で、それにいうならば取り組ませて頂かなければならん。先ず私は適確におかげの頂けるお徳の頂けれる話を頂いておるという事をです、いうならばお互いが本気で習おう、本気で頂こうという姿勢をもって構えをもって頂くなら、ただ漠然と聞いておったのでは、やはり漠然となってしまいます。何事でもひとつの稽古をしようと思えばです、その構えを作って覚えよう、体得しようという気になって合楽の御理解を頂き、それこそ日々実験実証させて頂くならば、信心が身についていく楽しみも喜びも、それにはこれがお徳というものであろうか、力というもんであろうかと心の中に頂いていくだけではなくて、それにはおかげが伴うていくおかげが受けられる。
 同時に最後にある信心をさせて頂いておると、もう師匠なしに、いうならばでけるように、こりゃ何んの道でもそうです。身凌ぎがでけるような、一人立ちがでけるようなおかげにもなっていけるのですから。問題は本気で、なら稽古しようという気にならなければ駄目です。ねえ。おかげを頂かんならんですけれども、おかげを頂かんならんというだけではなくて、本気でその事を通して信心の稽古をさせてもらい、信心を頂こう、信心を身に付けさせてもらおう。
 それにはどういう手立てがあるかと。その手立てを教えて頂くのですから、昨日十三日会で皆さんが発表されたように、一人一人がいうならば合楽の信心のまああ芯所と、芯になる所を頂きとめておられるから、それを問題は稽古をしようという気になれば一年経って、例えば又発表する時にです、昨日もそんな方がありましたですよね。去年は、こういうくじを引いて、こういうおかげを頂いた。して今年は、こういうというふうに、去年頂いた所も皆さん発表しとられる方がありましたが、本当に一つの信心の芯というか、支えというものを自分の日々の支えとも芯ともしておかげを受けて、そしてそれがこういう力にも徳にもなったというような発表のでけるようなおかげを頂きたい。
 合楽では、それを頂こうと思えばです、それこそ参って尋ねる所が無かった。よし参って尋ねる所があっても、本当の事じゃら本当の事でないやら分からないような話を聞いたんじゃ駄目です。間違いなし適確にあなたはここを行じていったらという教えをですね、芯にして日々の御理解を、に基づいて稽古させて頂くならば、成程稽古の楽しみも喜びも頂けて同時におかげも頂けるという事になるですから。本気でこれに取り組み、これによって稽古しようという気にならなければ構えを作らなければ出来ない。まあこれは、私が日々お取り次させて頂いて思う事は、例えばこの二百名近くの方が、一人一人たとえ一分間じゃあるけれども、あんな素晴らしい言うならば発表される。おそらく日本国中どこ行ったってないじゃないだろうかと思いましたですね。
 それは、どういう事かと言うと、言うならば日頃の教導というか、例えば話だけ位は聞いて分かっておるから、あの発表がでけたんだと思うです。だから、それを自分のものにする為には、そこに姿勢を変えなければならん。構えを作らなければならんという事になりますよね。どうぞ。